メタラーまとんがハイソにやらかすようです

東大理系修士卒JTBCエンジニアのハイソサイエティ(上流階級)な日常

【ネタバレ感想】シンエヴァ見てきました!!

ども!まとんです。

シンエヴァを公開初週に見てきました!

感想記事はネタバレになるので書くつもりなかったのですが、どうしても書きたい感情が溢れて止まらなくなってしまったので、感情の赴くままに筆を走らせようと思います。

こういうのは、見てきたその日のうちに書いた方がよい。鉄は熱いうちに打て!

 

以下、完全にネタバレですので、まだ見ていない人は読まないでくださいね!!!!

↓ 

書きたいことは色々あるのですが、特に言いたいことに絞って書きます!

シンエヴァは26年間かけて完成したモダンアート

TV版エヴァが放送された1995年から、完結する2021年まで、26年かかっています。

この間、色々あった。本当に色々あった。

エヴァにもいろいろあったし、二次創作やオフィシャルな外伝もたくさんでたし、映像技術も進歩したし、社会にも世界にもいろいろあった。

シンエヴァは劇中に様々なオマージュ的要素があって、「これはアレを意味してるのかな?」「あの作品の流れを汲み取っているのかな?」とか考えだすと、もはやこれはモダンアートの領域だなと思った。

庵野秀明監督が「こういう絵を描くと面白い」というのを、一つ一つ自分の中の経験と結び付けて落とし込んでいくような感覚だった。3時間ずっと、監督と会話しているような気分でした。

 

例えば、庵野秀明監督の「トップをねらえ!」や、ガイナックスの「グレンラガン」では、ストーリー終盤には宇宙に行って敵が宇宙を埋め尽くすほど大量に出てくる無量大数=10^68とか)のですが、シンエヴァで画面を埋め尽くすほどの白い量産型エヴァ(インフィニティ?)が出てくるのはそれを彷彿とさせた。

 

量産型エヴァが大津波のように押し寄せてくるシーンや、L2結界密度が高いエリアを厳重すぎる防護服を着て調査するシーンは、震災を表現しているのかなと思った。

 

コンピューターの発達も感じられた。

初号機と13号機がロンギヌスの槍で戦うシーンは、なぜか突然フレームレートが上がってぬるぬる動くようになり、街の建物などがエヴァにぶつかってスーッと動く、違和感があった。

多分あのシーンは、街とエヴァを3Dモデルで完全に表現していて、物理シミュレータで、エヴァにぶつかった家や車の動きを再現していたのだと思う。

26年前にはありえなかった技術を、映像に取り入れているなぁと感じた。

 

マイナス宇宙のシーンでは、人間が知覚できないのをいいことに、なんでもめちゃくちゃでしたね。

特に僕が好きなのは、缶ビールとか置いてある家の中で、エヴァロンギヌスの槍を振り回すシーンですね。

こんなんSNSで二次創作に使ってくださいと言わんばかりのネタシーンだと思いました。ロボットモノでも、さすがにここまでジョークなシーンはいまだかつてなかったでしょう。

 

そして、実はそのリビングは撮影のセットだったという描写や、あえて絵コンテそのまま白黒で描くシーンは、TV版最後らへんの雑な話庵野監督が倒れて放送までに間に合わなかった回)へのセルフオマージュというか、追悼シーンだったのだと思う。

 

ロボットアニメとして見ても展開は完成されていて、「日常パート→戦闘準備→艦隊戦→サブ主人公バトル→主人公とボスのバトル→精神世界でフィニッシュ」という、4クールでやるような王道展開を3時間に凝縮させた感じ。

僕が特に好きなのは艦隊戦ですね。同型の戦艦が「タイマン上等!」なのは、ガンダムSEEDアークエンジェルドミニオンがバトるシーンを彷彿とさせて、燃えました。

 

日常パートの表現も、非常に丁寧だった。

ロボットものは、ホワイトベースとか、AAAヴンダーとか、軍のメイン戦艦にスポットが当たりがちだけど、その背後には第三村のような「帰る場所」がある。そこで暮らす人間がいて、彼らは軍に支えられているし、また、彼らが軍の心の拠り所になっている。

最後に第三村のみんながエヴァに踏みつけられて鬱展開になるんだろうなーと思ってみていたけど、意外とそんなことなくて良かった。

ゲンドウに感情移入する。僕らも大人になった

エヴァという作品は、碇シンジへの感情移入を楽しむ話でもあります。

碇シンジは、「幼くて、親に甘えたくて、でも親は厳しくて、イジイジして、自分じゃ決められなくて、逃げちゃだめで、頑張って、頑張ったのにうまくいかなくて、褒められると喜んで、失敗したら落ち込んで、クラスの女の子が気になって、根暗で、鬱で、子供」。

そんな碇シンジに、中高生の視聴者は感情移入する。これがエヴァです。

 

しかし、それは視聴者が子供の場合です。

大人にとっては、上記のようなテーマは、あまり刺さらないわけです。

大人にとっては、むしろ碇ゲンドウ「恋人と出会って世界が広がる、家庭を持って幸せになる、子供ができたら名前を決める、嫁が死んで鬱になる、嫁を取り戻すために必死にもがく、子供が苦手、子供との接し方が不器用」こういったテーマの方が、刺さります。

 

僕は中学のときにGEOでDVDを借りてTV版と旧劇場版を見ました。

当時は碇シンジに感情移入したものです。

しかし、2021年の今、僕はアラサーで、結婚していて、子供がいる。

大人になった僕に、14歳の碇シンジの「悩み」は、ちょっとテーマが幼すぎて感情移入できない。アラサーにもなって「クラスメートの女の子が気になる」とかいう悩みには共感できない。

むしろゲンドウに感情移入する。「もし嫁が死んだら僕はどうなるのか?僕も人類補完計画やっちゃうのか?保育園とかどうするんだ?シングルファザーで働きながら子育てできるのか?」とか、めっちゃ考えてしまう。

 

シンエヴァは、感情移入させる=弱みを見せる主人公キャラは、シンジではなく、ゲンドウだったと思います。

「26年たって、視聴者も大人になっている」ことを考慮しているのかもしれない。

もし仮に、シンエヴァがTV版から数年後に放映なら、シンジが主人公で良かったと思う。

でも、26年も経っちゃったから、ゲンドウを主人公にして良かったなと思いました。

 

ていうか、視聴者がゲンドウの目線になるまで26年間待ったのではないかと邪推してしまうレベル。

エヴァのストーリー(人類補完計画)の根幹をなす敵ボスのモチベーションは「失った嫁を取り戻す」というシンプルかつ身勝手なものですが、これはアラサーにとっては世界をぶっ壊すほどの最重要テーマ。しかし、中高生には共感できないでしょう。

 

あと、ミサトさんも良かった。子供ができたけどシングルマザーでバリキャリウーマンで会社にとって代わりの効かない希少人材ミサトさんは、「親らしいことは何もできない。世界を救うことで、代わりに息子を救うことにする」ってね。泣けるやん。めっちゃ分かる。アラサーはこっちに共感しました。

Beautiful Worldで締めてくれて嬉しい

僕はスタッフロールで泣きました。ええ。

エヴァの新劇場版といえば、宇多田ヒカルさんのBeautiful Worldですよね。

序・破の当時、僕はちょうど浪人生で、駿台予備校の寮の隣の部屋の友達からiPodを借りて、受験勉強をしながら聞いていたのがBeautiful Worldでした。

僕にとってのBeautiful Worldは、人生のターニングポイントの曲でした。

 

しかし、今回のシンエヴァは、EDがBeautiful Worldではなかった。

「あー、最後は別の曲を使うんだな~」とか思って、スタッフロールを見ていると・・・

 

何やら聞きおぼえのあるコードのアコースティックギター音が・・・?

あれ?これってまさか・・・

 

と、20秒ほど聞いていると、聞こえてきました。「It's only love...」の歌詞!!!

おおお!!!!まさかEDで2曲を連続して使うとは!!!やっぱりBeautiful Worldで締めてくれるのか!?

と思った矢先、スタッフロールで「主題歌:宇多田ヒカル One Last Kiss, Beautiful World (Da Capo Version)」の文字が!!!

曲の転換と主題歌表示のスタッフロールを合わせてくるあたり、映画作品というコンテンツを完全に使いこなしているなぁと感じた。モダンアートだ。

シンゴジラで味を占めたか?エッフェル塔を破壊していくぅ!

庵野秀明監督と言えば、シンゴジラ

ゴジラというのは、有名建築物をバッサバッサとぶち壊していくのが爽快でもある作品です。

シンゴジラでも、そりゃあもう、ド派手に壊しまくりましたよね。

庵野監督はそれで味を占めたのだろうか?「もう世界の建築物を壊してもいいよねw」と言わんばかり、エッフェル塔をぶち壊していきましたね。やりたい放題じゃねーか!!

 

あと、開幕で「お、東京タワーじゃん」と思ったら、まさかにエッフェル塔だったという。

ニアサードインパクトで地上が赤くなっているため、エッフェル塔が赤くなり、視聴者にとっては東京タワーかと勘違いしてしまう。ちょっとした絵のトリックをオシャレに使ってきた印象。

 

あと、庵野監督は、戦艦大和が大好きなんでしょうね。

最初のフランスの作戦で、戦艦大和をファンネルみたいに自由自在に動かしているのにはさすがにウケた。監督が自分が好きなものを、好きなように、気持ちよく表現しているのが伝わってきた。

AAAヴンダーの誘導弾も戦艦大和だったのはさすがに草。戦艦好きすぎぃ!

3時間は必要だった。トイレ我慢する価値あった。

シンエヴァは3時間弱にも及ぶ長い作品で、膀胱と戦う作品です。

僕は「トイレ我慢できない」という前情報を得ていたので、映画を予約した日は昼から断飲をして、トイレに何度も言って膀胱をカラッカラにして、映画館ではドリンクなどを買わずに対策しました。

26年間も待ったわけです。たかが半日、飲まず食わずでいることくらい、安いものです。

 

しかしこの3時間という長さは、確かに必要だったと思う。

最初のAパートでの、第三村での日常パート。あれは必要だった。

あそこで碇シンジは、メソメソ鬱々モードから「大人」のシンジに成長したわけです。

その結果、最後に親父と対峙して、「親父、もうやめなよ」と言えるようになった。大人になった。

 

僕らは26年間、メソメソ碇シンジを見てきたわけです。

最終話だからといって、いきなり突然、大人のシンジになられたら困る。

ゆっくりと、丁寧に、シンジを大人に成長させる必要があった。

 

シンジを大人に成長させるために、中学の同級生を登場させるし、結婚して子供を作らせておくし、ペンギンも出すし、綾波は田植えをするし、おばちゃんと風呂にも入るし、釣りもするし、「壁の外を徘徊する無垢の巨人」みたいなエヴァを出す必要必要もあったし、ミサトさんは子供を妊娠している必要もあった。

26年かけて視聴者にこべりついた「シンジ=メソメソ君」というイメージを払拭し、大人に成長させるためには、Aパートで1時間もかける必要があった。

だからトータルの3時間は、必要だったんだなぁって、思いました。

  

ちなみに僕は、シンジの「僕がエヴァに乗るよ(めっちゃ大人の顔)」からのミサトさん「私が全責任を取ります。」の流れで泣いた。

あのシーンは本当に良かった。みんなが本音をぶつけ合っていた(「あんたのせいで人生めちゃくちゃ」とか)。一番人間味があるシーンだった。

「Q」でめちゃくちゃ厳しかったミサトさんが、ついに優しくなったシーンでもある。

優しいミサトさんは「破」以来だから、12年ぶりだよ。マジでさぁ。。。

 

以上、映画見たその日に、感情が赴くままにペンを走らせました。

ではでは。