ども!ミドサーブロガーのまとんです。
「3時間もおしっこを我慢できない」とSNSで話題になっていた「国宝」を映画館で見てきました!
ネタバレ感想を書きます!ネタバレを見たくない方はご注意ください。
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見終わってから最初に嫁に伝えた感想は「すごかった・・・」でした。すごすぎて、それしか言えなかった。
映画のストーリーについての感想や考察はネット上にありふれているので、この記事では僕が感じた「伝統芸能ってすげーな」という感想について書こうと思います。
- 2010年でもまだ「3代目」、伝統芸能の継承
- 学生時代に長唄をかじっていたことがある
- 「幕を閉めんといてや、俺の舞台やんか」
- 本物の歌舞伎役者の存在感がすごい
- 最後の盛り上げにオーケストラを使わないで欲しかった
2010年でもまだ「3代目」、伝統芸能の継承
歌舞伎は1603年に始まって、名前を代々襲名してきた伝統芸能です。
花井半二郎という名前は、2010年代でもまだ「3代目」であるという事実に、えもいえぬ恐ろしさを感じました。
僕らは2025年の現在を「今が最新の世界」「過去の歴史の上に成り立つ正史」「今より先は、何が起きるか分からない、文字通りの未来」のように考えています。
しかし歌舞伎のような伝統芸能にとっては、2025年さえも通過点に過ぎない。今は「N代目」が襲名しているだけの時期で、未来にはN+1代目、N+2代目と続いていく。
映画の中では1960年代から始まり、2010年代にかけて、建物がキレイになったり、街が現代化されたり、舞台は木造舞台からコンサートホールのような舞台に変わっていく。
それでも、歌舞伎の舞台の基本的な構造である、「舞台+花道」という構造は変わっていないんですよね。これは1603年からずっと変わらずに受け継がれてきたのでしょう。
映画で描かれた1960年代や2010年台も、伝統芸能にとっては通過点の一つ。そのときどきの技術を活用していくが、基本的な部分は変わらない。
後ろ盾は、時代と共に移り変わっていく。1960年台には現代では考えられないヤクザの援助?を受けていた。1980年台ぐらいには「株式会社」が興行主であり、後ろ盾は時代と共に変わっていく。戦前や江戸時代には、また別の後ろ盾があったのだと思います(幕府とか)。それでも、歌舞伎の基本的な部分は変わらない。
今後、2030年、2050年、2100年と続く未来には、世界が大きくガラリと変わっているでしょう。会社制度がなくなるとか、国という概念がなくなるとか、AIによって人間の生活や存在意義が変わるとか、全く違う景色が現れるのかもしれないです。しかし1603年から続く歌舞伎は、そんな未来でも、何かしらの後ろ盾を見つけながら、「舞台+花道」という基本構造で、昔から続く演目を披露し続けるのだろうなと、思いました。
この生存力とでも言うべき力に、僕は恐ろしさを感じました。
学生時代に長唄をかじっていたことがある
実は僕は学生時代に長唄のサークルに所属していました。長唄の先生にご指導をいただき、学生サークルの舞台に上がったことがあります。
昔から弦楽器(バイオリンやベースギター)が好きで、三味線を弾けるようになりたいな、というモチベーションでサークルに入りました。
長唄サークルでは連獅子や道成寺や勧進帳など、映画に出てきた歌舞伎由来の演目もやっていたので、懐かしく思いました。
僕は色々な音楽の舞台に立ったことがあります。全てアマチュアですが、ピアノ、弦楽合奏、ブラスバンド、ロック、デスメタル、アニソン、長唄、などです。
その中で比較すると、長唄のような伝統芸能は、異質の経験だったなと思います。
比較対象として、同じく長い歴史を持つ西洋のクラシック音楽があります。クラシックは、演奏技術さえあれば誰でも弾けます。門戸が広い芸能だと感じます。楽譜はそこら中で売っていますし、先生も多いです。
もちろん、世界トップレベルに進むためには世界的な指導者に師事する必要があるのだと思いますが、門戸は広く開かれていると思います。
一方で伝統芸能は、先生に師事することで初めてその世界に足を踏み入れることができる、という印象があります。(僕はサークルの力を借りて先生にご指導をいただくことができていました。今振り返ると大変貴重な経験をしていたなぁと思います。)
伝統芸能は、あえて門戸を狭くしようという力学が働いているわけではないと思いますが、結果として、クラシックと比べると門戸が狭いと思います。
それも国宝を見たら納得しました。基本的には世襲制。血がものをいう世界。さらにその上で、血のにじむ稽古。本物を育てるために、血や才能がある人を選んで、本気で稽古をつけて、人間の一生を費やすことで、なんとか継承されてきた芸能。門戸を広げるよりも、本物を継承することが優先されてきたのだろうなと思いました。
(とはいえ現代では、先生から習い事のようにお稽古をつけてもらえる仕組みもあります。2010~2020年台の断面では、伝統芸能も広く開かれていて、誰でも足を踏み入れやすい環境になっていると思います。)
「幕を閉めんといてや、俺の舞台やんか」
白虎が襲名式で吐血して倒れるシーン。「しゅんぼん、しゅんぼん」と呟くセリフが印象的ですが、僕にとって印象的だったのはその前の「幕を閉めんといてや、俺の舞台やんか」というセリフです(字幕が無かったので正確なセリフは違うかもしれません)。
なんというか、すごく、共感しました。
僕のような若造が歌舞伎役者に対して「共感した」などという言葉を使うのはおこがましいと思いますが、無礼を承知の上で言うと、共感しました。
役者は、舞台に立つことが全て。幕が上がって幕が下がるまでの時間が自分の存在価値。舞台に穴を空けることが、最もやってはならない行為。
この考え方は、歌舞伎に限らず、あらゆるステージに立つ演者にとって共感できるのではないでしょうか。
例えば僕の仕事では、国際学会のステージで、自分の研究を発表をするとき。ステージに上がって、スポットライトを浴びて、観客全員が自分の一挙手一投足を見ているとき。僕は、この時間のために生きていたんだ、と感じます。
もし、不本意に幕が閉じたら、「幕を閉めんといてや、俺の舞台やんか」と言ってしまうなと思います。
歌舞伎という日本の最高峰の芸能の演者と、若造ながらステージに立つ自分との間に共通するマインドを見出すことができた。このことを、僕は嬉しく思いました。
本物の歌舞伎役者の存在感がすごい
吾妻千五郎は映画の中でちょびっとしか出てこない人物ですが、短い時間の中で圧倒的な存在感を放っていたと思いました。
タバコの煙を体にまとわりつかせて、妖かしい魔人のような風貌。タクシーから飛び出して怒鳴り込んでくる迫力。脇役なのにすごく印象に残っています。
映画を見終わってからキャストを調べると、吾妻千五郎役は、歌舞伎役者の中村鴈治郎さんが演じていたようです。本物だったのか。そりゃすごいわけだ。
「役者が真面目ぶっちゃダメだよ」というセリフは、本物の役者が、役者の本質を代弁したシーンだったのかなぁと思いました。
最後の盛り上げにオーケストラを使わないで欲しかった
僕は国宝で1点だけ不満だった点があります。
喜久雄が人間国宝に選ばれた鷺娘の後半の盛り上がるところで、BGMが歌舞伎のお囃子からオーケストラに切り替わりました。
僕はこれがとても無粋だなぁと思いました。リスペクトに欠ける、とさえ思いました。
国宝の良いところは、歌舞伎のシーンでちゃんと歌舞伎をやっていた点です。BGMは歌舞伎のお囃子でした。演目の中で盛り上がるところでは、お囃子がちゃんと盛り上がります。
しかし、ラストシーンでは突然、オーケストラに変わりました。これは「映画の最後のクライマックスは、オーケストラで盛り上げた方が良い」という判断なのだと思います。
たしかに1762年に作られた鷺娘の既存の楽曲よりも、オーケストラで「盛り上げに特化した曲」を使った方が、盛り上げ効果は高くできると思います。しかしそれは言い換えると「鷺娘のお囃子では、この映画のクライマックスを飾るには圧が足りない」と判断したということでしょう。
僕はこれが無粋で、リスペクトに欠けると思ってしまいました。
最後まで歌舞伎を使って表現する映画であって欲しかったです。
色々と感想を書きましたが、とにかく面白い映画でした!
まだ見ていない人は、劇場で見てください!
以上、メタラーまとんでした。
ではでは。