ども!JTBCブロガーのまとんです。
2021年7月20日に発売された、元マイクロソフト業務執行役員の澤円さんの書籍『「やめる」という選択』を読んだので、感想を記録します。
この本のメインメッセージは「人付き合いなどの埋没コストを、「やめる」ことで減らしましょう」という内容ですが、それに関しては僕も元から同意なので、新しい知見は無かったです。
むしろ、著者の澤円さんという人柄から感じ取った、人生のヒントのようなものが僕にとって有益だったので、まとめようと思います。
心に残ったメッセージ
自分史上はじめてであればいい
このとき、「誰かがもうやっているんじゃないですかね?」という反応もよくあります。でも、これがいちばん関係のない話です。なぜなら、その誰かとあなたはちがう人だから、「自分史上はじめて」であれば、それでいいのです。
澤 円 『「やめる」という選択』日経BP pp. 82-83
この言葉にはすごく救われました。
仕事でエンジニアとか研究開発をやっていると、「それは何が新しいの?」という問い掛けを毎日されるのですが、それにいつも苦しめられています。
これだけインターネットが発達して情報が世界中で共有されているのだから、そりゃあ、探せばほとんどのことは「二番煎じ」です。
しかし、「わが社にとっては初めて」だったり、「うちのメンバーにとっては初めて」だったりするわけです。そこからイノベーションが生まれるんじゃないのか。
イノベーションの歴史を見ても、莫大な利益を上げたのは、本当に最初にやったイノベーターではなく、その次にやったアーリーアダプターやアーリーマジョリティーです。
「世界初じゃないけど、うまくいきますよ」というのを、自信をもって主張できるようになりたい。と思いました。
自分はコモディティ化しない
自信というのは、本来自分を信じることであり、コモディティ化するはずがないものです。自分の人生を生きるプロフェッショナルは自分しかいないので、そんな自分がコモディティ化することなんて「あり得ない」のです。
澤 円 『「やめる」という選択』日経BP pp. 102
ポイントは、自分の「豊かな時間」は、コモディティ化しないということおそらくそれが、「意味があるモノ」になるのでしょう。
澤 円 『「やめる」という選択』日経BP pp. 170
この発想は僕にとって新しかったです。
技術やサービスはすぐにコモディティ化したとしても、「自分」は一つしかないから、唯一無二である。
言われてみれば当たり前なんですが、再認識させてくれました。
つい、「組織の中で自分は一兵卒に過ぎない」とか考えてしまうのですが、そういった発想はやめよう。自分は自分しかない。
別の視点で見れば、子どもにとっては僕は「父親」であり、絶対にコモディティ化しない。
「僕が好きなもの」もコモディティ化しない。僕が好きなものは、いつまでも好きでいい。他の誰が良いとか悪いとか言ったとか、流行ったとかブームが過ぎたとか、気にしなくていい。好きは好きでいい。
多様性を認めることのベースにある発想でもあるなと思いました。
自分のアイデンティティーを無理に合わせなくていい
与えられてた場所でキャリアを積むことに価値がないとはいいませんが、いま与えられている場所やポジションにアイデンティティーを合わせる生き方を続けていると、その場所がなくなった途端、生きていく意味を見失ってしまう危険性があります。
澤 円 『「やめる」という選択』日経BP pp. 111
この考えは今までも意識していたのですが、ハッキリ言語化されると、思うところがありました。
例えば僕はTwitterで「JTBCマン」と自称してみたり、ついつい自分のアイデンティティーを所属組織に合わせようとしてしまう癖があるなと自覚しました。
※JTBC:Japanese Traditional Big Company 日本の伝統的大企業
今はJTBCで働いているけれど、別にJTBCに染まらなくていい。
自分は自分だ。所属やポジションに合わせなくていい。
そういう意味では、「家族」だけが、合わせたわけではなくて、僕のアイデンティティーであるように感じる。
もし、家族を失うことがあれば、途端、生きていく意味を見失うだろう。
自分の夢や目標にとらわれるな
若い頃から持っている夢や目標もまた、必要なようでいて、いつの間にか埋没コスト化しやすいもののひとつです。
澤 円 『「やめる」という選択』日経BP pp. 184-185
この本を通して一番「なるほど!!」と思ったメッセージです。
夢や目標は、ポジティブなものなので、目指していきましょう!と思ってしまう。
しかし、たしかに、過去の夢や目標を、無理に引きずらなくてもいい。
過去のキレイな夢も「それは昔の夢だから」とほっぽりだしていい。
5年前の目標、10年前の夢、たしかにそのまま叶えられれば美しいストーリーですが、別に変えたっていいじゃないか。
オリンピック選手の「3歳からスポーツを始めて金メダルを取りました」というコメントは、美しいけれど、自分はそうでなくてもいい。
それこそ、高校→大学→大学院→社会人とステップアップしてきながら、自分の視野が広がって、いろんな世界を知るようになって、夢や目標が変わるのは当然だ。
「僕は子供の頃にこの夢を立てたから、目指さないといけないんだ・・・」とか「俺はこういうことをやりたくて社会人になったはずなのに・・・」とか、過去の自分にとらわれないように気を付けようと思いました。
そういう意味では、意外と良くないのは少年マンガの影響かもしれないと思いました。
漫画には一本のスジが通ったストーリーがあるので、えてして、主人公が子供の頃の夢を達成するなどがキレイな物語になる。
読者からしても、主人公が大人になって急に言うことが180度変わったら「微妙だなぁ~」と思ってしまう。
しかし、漫画は漫画で、人生は人生。スジが何本あっても、分岐しても、何してもいいじゃないか。
人生は長いんだし、もっと柔軟に考えていこう。
(「島耕作」は、出世するたびにコロコロ変わっていくので、リアルな人生漫画ですね)
自分の根源欲求はなんだろう
この本から得たメッセージを一言でまとめると、
『「やめる」=自分の根源欲求を見つめ直すこと』
なのかなと思いました。
自分の根源欲求はなんだろう?
この本を読みながら、自分の人生を振り返っていました。
小さいころは医者になりたかったし、
小学校の卒業アルバムには「インテリアコーディネーターになりたい」とか書いていた。
中学の頃は「俺は経済を勉強して株で儲けるんだ!高校では文系に進んで一橋大学に進学するんだ!」とか思っていました。結局、高校では文系科目が苦手すぎて理系に進みました。
大学では、電子工作に死ぬほどハマって、これを仕事にできたら楽しいと思ってJTBCエンジニアの扉を叩いた。
人生の中で「寝る暇も惜しんでやってたこと」は色々ある。
小さい頃はホームページ作りにハマった。
自分のパソコンを与えられてからは、MMO(オンラインゲーム)に手を出して、生活が破綻するレベルにハマった。
バンドは自分の青春として長く続けていたけれど、ネトゲの方がハマっていたな。ライブで演奏する瞬間は大好きです。
これはあくまでも過去の僕の根源欲求で、これに囚われなくてもいいと考えると、気分はとてもクリアになります。
最近では、このブログが「寝る暇も惜しんでやっていること」だなと思う。
何のために書いているのか分からないけれど、好きなので、続けてしまう。
育児のスキマ時間に、他にもやりたいこともあるのに、なぜかブログ執筆を優先してしまう。
これが根源欲求なんだろうな。
自分の根源欲求を見つめ直して、自分に素直に生きていこうと思います。
以上、メタラーまとんでした。
ではでは。