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東大理系修士卒JTBCエンジニアのハイソサイエティ(上流階級)な日常

「感染症の近代史」の感想!手洗いと北里柴三郎とバイキンマン

ども!工学系修士のまとんです。

コロナを理解するために、そもそも感染症とは何なのかをゼロから勉強しようと思い、本屋にあったこの本を読んでみました。

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感染症の近代史 (日本史リブレット)

感染症の近代史 (日本史リブレット)

  • 作者:孝, 内海
  • 発売日: 2016/10/01
  • メディア: 単行本
 

日本の明治〜大正期を中心に、感染症の近代史を振り返る内容です。

筆者は日本近代史専門の方で、歴史の教科書のような書き方になっています。

僕が普段読んでいる技術書とはテイストが異なりますが、たまには分野外の書物を読んで勉強することも人生の糧になると思い、読んでみました。

 

大きく4つの観点(感染症・衛生・学問・教育)から、印象に残ったことをまとめます。

感染症:人類史は感染症との戦いだった

花火と疫病

人類史は感染症との戦いでした。

日本では疫病が流行ると、悪鬼を払うために祈りを捧げたり祭りをしたり、大仏を作ったりした。

今でも残る祇園祭隅田川花火大会も、ルーツを辿れば疫病があった。

先日、コロナ終息を願い花火が打ち上げられた。花火が悪霊退散を目的とするのは、日本の文化とも言える。

古い感染症と新しい感染症

世界には様々な感染症があったが、ざっくり古いものと新しいものに分けられる。

古いものは、コレラ、腸チフス赤痢発疹チフスジフテリア、痘瘡、ペストなど。

これらの多くは、現代ではワクチンがある。

新しいものは、エボラ出血熱エイズ結核マラリアデング熱、ジカ熱など。

これらは現代において多くの死者を出しており、今まさに人類の大敵である。

ここに今回、新型コロナウイルスが加わった形であろうか。

近代の国際交流で感染症の拡大は避けられない

大航海時代になり、船で世界中が繋がり始めた1800年代、感染症の拡大は避けられなかった。

1800年代のパンデミックの代表はコレラである。

コレラ原発地はインドのガンジス川下流ベンガルからバングラデシュにかけての地方と考えられているが、東インド会社の貿易でヨーロッパ全域に広がった。鎖国から開国しつつあった日本でも長崎や横浜を中心にジワジワ感染を広げた。

ネズミを媒介とするペスト(黒死病)も、貿易によって世界中に広まっていった。

感染拡大防止は水際対策、検疫

感染症を拡大防止するための効果的な強行策は、水際対策である。

船が港に着いたら、人が降りる前に海上で数日間隔離しておく。

検疫の英語「quarantine」はイタリア語の「40日」からとられており、これは40日間の海上隔離からきている。

当然、検疫に反対する国がいる。検疫で40日も船を止められたら困る国、つまり経済で儲かっている国である。

1866年、オスマン=トルコで国際コレラ会議が開催された。アジアとヨーロッパ貿易の要所、スエズ運河に国際検疫所を設置することについて議論された。

参加国はイギリス、フランス、プロシャ、オーストリア、ロシア、オランダ、ベルギー、デンマーク、イタリア、ギリシャスウェーデン、スペイン、ポルトガル、ローマ教国、ペルシャ、トルコ、エジプトで、反対はイギリス関係国だけであった。つまり、儲かっている国が検疫に反対した。

新型コロナウイルス禍においても、検疫にはみな反対したであろう。国際空港で入国してきたビジネスマン・旅行客を全て40日間隔離するのは現実的ではない。とはいえ、それも選択肢の一つではあった。

感染症対策の本質はあまり変わらない。昔も今も、同じ議論をしている。

人類が唯一根絶に成功した感染症:痘瘡

痘瘡は世界中で紀元前から存在した感染症である。日本にも6世紀頃から渡来人によって運び込まれたとされる。

痘瘡の致死率は20-50%と高く、かかったら高確率で死ぬ。

皇族でも大名でも構わず殺す。千年以上も日本人を苦しめてきた。

痘瘡に対しては、種痘、および牛痘というワクチンが開発された。子供には牛痘を与えれば痘瘡の恐怖から解放される。

漢方や祈祷に頼ってきた日本人も、痘瘡の恐怖から逃れるため、牛痘を求めた。これに伴って西洋医学が普及していった。

牛痘の徹底により、1958年にWHOにより痘瘡の撲滅宣言がなされた。長く人類を苦しめてきた感染症の一つがついに撲滅された。人類の偉業である。

他に撲滅に成功した感染症は無い。これが人類の実態である。

「新型コロナを撲滅」というのがいかに現実的では無いかがよく分かる。

ただし、撲滅はできなくても、終息はできる。

衛生:日本人は手を洗わなかった

日本人には手洗いの習慣が無かった

今でこそ日本人はキレイ好きで、手を洗うしマスクをするし、お風呂に毎日入るが、昔からそうであったわけではない。

1870年の横浜の英字新聞で、日本人が手洗いをしないことを指摘した。

1877年、日本に滞在する外交官達は、神奈川県政府に対して手洗いの慣行を奨励した。しかし、この交渉は受け入れられなかった。

案の定と言うべきか、その半年後、日本でもコレラが猛威をふるってしまった。政府は「清潔」と「消毒」を求める心得を発した。

手洗いは、新型コロナウイルス対策においても重要な標語である。時代が変わっても、感染症対策の基本は変わらない。

下水処理と上水整備が重要

ヨーロッパにおける産業革命の大きな弊害は、下水問題であった。

ヨーロッパの川は下水で汚染された。汚れた川は感染症を招く死の象徴であった。

インフラ面での感染症対策の最優先事項は、下水の整備であった。

その点、パリはいち早く下水道を整備した。

映画化までしたレ・ミゼラブルでは、1800年代のパリの下水を描いたことが評価されている。

レ・ミゼラブル (2012) (字幕版)

レ・ミゼラブル (2012) (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

江戸時代の独特な文化と奇跡

その点、日本の江戸は世界的に見ても少し事情が違っていた。

江戸では、下水(うんちなど)を肥料として再利用するエコシステムがあった。

つまり、江戸の外周部の農村の男達は、毎日江戸まで樽を担いで歩き、下水を回収して家に帰り、畑に撒く。

江戸と農村の絶妙な依存関係により、江戸は長らく、下水問題から逃れてきた。

しかし横浜では、下水は「糞尿溜め」か「簡易便所」に溜められており、その近くの井戸から水を汲み上げて飲んでいた。

これは明らかに感染症が流行る状況である。しかし横浜では長らく感染症が流行しておらず、英字新聞は「ほとんど奇跡である」と論じた。

今の新型コロナウイルスも、日本は「ジャパニーズ・ミラクル」とされるほど被害が小さいが、何か関係があるのだろうか。

とはいえ、そんな江戸や横浜も、結局はコレラが大流行することになる。

日本政府は、下水道の整備と、上水道の整備を急いで進めた。これが現代の日本の「飲める水道水」に繋がっている。

学問:明治の偉業が今の日本を作った

ポンペの偉業、日本に西洋医学を伝えた

衛生意識が低かった日本がどうして近代化できたか、それは明治期の日本人が必死に西洋医学を取り入れたからに他ならない。

特に功績が大きいのは、オランダ軍医ポンペだと思う。

幕府は1857年、長崎で西洋式の医学校を開設し、ポンペを招聘した。幕府はポンペに内科と外科の教授を依頼したが、ポンペは「組織的な医学教育が必要」と要請した。

ポンペは母校のウトレヒト陸軍軍医学校のカリキュラムに則り、化学、物理学、解剖学、解剖実習、組織学、生理学、病理学総論、薬物学、薬物実習、中毒学、内科学、内科学各論、ポリクリニック、外科学、外科手術学、包帯実習、眼科学、産科学、法医学、医事法制、採鉱学を教えた。

付属病院も設立し、学生と共に臨床も行った。

学生にとって、こんなに多くのことを学ぶとは思っていなかったので削減を要求したが、ポンペは拒否した。

ポンペいわく「ひとたびこの医師という仕事を選んだ以上、もはや自分の体ではない。まったく病人のものである。それを好まぬのなら、よろしく医師をやめて他の仕事に転ずるべきである」とした。

5年間かけてこの膨大なカリキュラムを1人で教えきったポンペは、幕府に続投を依頼されたが、休息を取るため断った。

僕は、日本の医学の根底にはポンペの功績があると思った。現代の医学部のカリキュラムを1人で担当したようなものだ。とても人間がなせる仕事とは思えない。

ポンペの後続として、他のオランダ軍医が続き、日本人の様々な医師が影響を受けた。特に、軍人か政治家志望だった北里柴三郎を医学に向けたのは、ポンペの後続のマンスフェルトであった。

北里柴三郎の偉業、日本を感染症の先進国にした

北里柴三郎は、ポンペ後任のマンスフェルトに師事した後、東京医学校(現在の東京大学医学部)を経て、ドイツに留学し、近代細菌学の開祖と呼ばれる医師コッホ(コレラ菌結核菌を発見)に仕えた。

ベーリングと共に世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功。

世界で初めて血清療法を発見。

日本に帰って来てからは、国家有意の才能を受け入れる機関が無かったことから、福澤諭吉が私財を投じて伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)を設立し、北里柴三郎が所長についた。コッホの伝染病研究所に続き、世界2番目の伝染病研究所であった。

ペスト(黒死病)第3回パンデミック震源地の香港に飛び、ペスト菌を発見。ヨーロッパを中心に1億人以上の命を奪った人類の仇敵、ペストに対して予防法・消毒法・治療法の開始に貢献した。

その後も、北里研究所、北里大学慶應義塾大学医学部、日本医師会テルモ株式会社などの設立に関わり、日本の細菌学の父と呼ばれる。

後輩として、野口英世などの次の偉人を輩出した。

列挙しただけでも圧倒的な成果を残した北里柴三郎と、この偉人を生み出した明治という環境。

これが日本の医学・細菌学の礎を作り、今日の新型コロナウイルス対策で世界から「世界最高峰の感染症学者を有する」と評される日本に繋がったのだと思う。

教育:定着させたのはバイキンマン

ここからは本には書いていなかった僕の意見です。

どれだけ学者が勉強しても、国民には広まらない。

国民に定着させるには、教育が不可欠だ。

教育が無いと世界は変わらないし、教育によって世界はレベルアップする。

特に感染症の教育で大きな働きをしているのは、バイキンマンだと思う。

「バイキン」という目に見えない、理解し難い概念を、幼児にもなんとなく理解させる。

「砂場で遊んだら手を洗ってバイキンを落とそうね。」これを子供が理解できるようになる。明治以前の日本人には理解できなかったことだ。

まとめ:日本はどんな国か?

もともと、日本は感染症に強い国ではなかった。

これが日本だと、思いました。

感染症の近代史 (日本史リブレット)

感染症の近代史 (日本史リブレット)

  • 作者:孝, 内海
  • 発売日: 2016/10/01
  • メディア: 単行本