メタラーまとんがハイソにやらかすようです

東大理系修士卒JTBCエンジニアのハイソサイエティ(上流階級)な日常

【東大受験シリーズ1】東京のハイソ生活を夢見る、地方のローソ家庭に生まれた戦士の物語

ども!まとんです。

先日、「東大入試は問題が難しすぎるから、また東大を受けても絶対に受からないと思う」という記事を書きました。

highso.hatenablog.com

すると友人から、こんなコメントが。

某友人「あんたのブログ、いつもつまらないけど、大受験の話は面白かったじゃん。」

 

 

うわっ・・・私のブログ、つまらなすぎ・・・?

 

確かに、大学を卒業して社会人をやっている今でも、僕は受験ネタは多いですよ。

もともと、東大受験生(浪人)ブロガーとしてブイブイ言わせていた時期もありますからね。

僕の根底には東大受験があるし、人生最大の難関だったし、語れと言われたらいくらでも語れますよ。

 

友人「やっぱ、東大受験の話って、面白いよね。みんなにとって、知らない話だし。興味あるよね。」

 

アクセス数乞食として、東大受験シリーズを始めよう

ちゅーわけで、東大合格に至るまでの思い出シリーズを語っていくぞ。

もう10話くらいまでのネタが頭の中で一瞬で溢れてきたのですが、一つずつ書いていきます。

目標は、現役の受験生ブロガーやYoutuberに負けないこと!!

俺の武器は、生々しさと、自分の弱さをさらけ出すことを厭わないメンタルの強さです。

 

 

では、闇の物語を始めよう・・・

 

【第1話】高校二年夏 - 修学旅行にて、ハイソとの出会い

高校は地方の進学校に進学した僕の成績は、いかんせん微妙でした。

 

高校2年の時点で得意と言えるのは、数学ぐらいでした。

中学では得意だった英語も、英単語の暗記が嫌いすぎて、どんどん成績が落ちていき、気が付けば苦手科目に。

高1の冬から新しく始まってウキウキで取り組んだ物理も、運動方程式(初歩の初歩)からつまづいて、初めてのテストが24/100点という始末。

国語は全般的に苦手で、古文や漢文のテストはほぼ白紙で、「俺は理系だから(キリッ」と言い聞かせることで自分を正当化していました。

 

さらに、中学から続けていたメタルバンドメタラー時代)で月1でライブをしていたし、ニコニコ動画にハマったり、ネトゲラグナロクオンライン)にハマったりして、勉強に集中できていませんでした。

さらに、チビだし、オタクだし、スポーツもできないし、良いところは何も無くて、彼女もできたことなくて(告白してフラれたことは多数)、散々な高校生活を送っていました。

(以上、全て誇張無しの事実)

 

修学旅行で東京に

そんなとき、高校2年の夏の修学旅行で東京に行くことになりました。

この修学旅行のテーマは、「東京で活躍している高校の卒業生に会いに行く」という教育効果を狙ったものでした。

「修学旅行くらい、ただ楽しませてくれよ!」という生徒や保護者からの反発が多かったです。

しかし結果的に、この修学旅行が僕の人生のターニングポイントとなりました。

 

東京でハイソに触れた

修学旅行で僕が会いに行った卒業生の方や、その他のメニューは以下の通りでした。

地方生まれで地方育ちの僕にとって、全てが新鮮で、刺激的で、キラキラしていました。

当時は「ハイソサイエティ(ハイソ)」という言葉を使っていなかったけれど、漠然と「東京に来ればこのキラキラ生活が待っている」という考えを抱くようになりました。

そして、単純な僕の思考回路は、「東大に行けばこの生活が待っている」という発想に至った。

 

修学旅行から帰ってきてすぐに、親に宣言しました。

僕「俺、東大に行くよ!!

母「えっ・・・?(あんたの成績で?まぁ、志望が高いのはいいことよね。)」

 

僕は影響を受けやすく、流されやすい性格ですが、自分のことは自分で決めます。

東京を夢見る、東大志望の戦士たちが終結

僕の高校では、地方進学校ではよくあることですが、成績が良いヤツはたいてい医学部志望です。

親が医者だから、自分も医者になるのが自然なわけですね。

ほとんどが地元の国立医学部を志望し、めちゃくちゃ成績が良いヤツは京大医学部や、阪大医学部、名古屋大医学部などを志望していました。

 

そんな高校にあって、医学部を志望しないコミュニティがありました。

それは「親が医者じゃない、ローソサイエティ家庭」に生まれたヤツらです。うちもそうです。(地方では医者以外で裕福な家庭は少ない。)

そしてそいつらは、一様に「東京に行きたい」と夢を見るようになる。

 

こうして高校2年の夏、東大志望の戦士たち(約10名)が集まった。

 

「お前は医学部?いいんじゃない?ま、俺は東大に行くけどね(キリッ」という謎のマウントをとるようになった。

しかし悲しいかな、成績がともなわない。

僕なんて特にひどくて、東大なんて声に出すのもおこがましい雑魚だった。

(僕の全国偏差値は60程度。東大は70程度)

 

だが、大丈夫。

僕には、ドラゴン桜があった・・・。

 

つづく

 

次話

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